Brunnensteinの日記

底辺アカデミアの日常@ババア遷移領域

研究室が汚い

研究室が汚いのが嫌だ..

自分の居室は今3人しかいないのでまあまあきれいなんだけど

実験室が汚い・・・

瓶だらけだし,ゴミ箱すごい溜まってるし・・

工具も何もかも使いっぱなしだし,

前の研究室が残していった汚い引き出しの中に

不規則に雑然といろんなものが入っていて

私が一度整理してもいつのまにかごちゃごちゃに・・・

研究室は謎の配線やもう使っていないガスボンベ用のキャビネットが壁にいっぱいあり

うちが新しく導入した棚などを壁にピッタリと付けられないようになっている.

工業廃水の学内の下水の下流に位置しているらしく

あるとき配管が詰まって逆流してうちの研究室が下水まみれになってしまったこともあり

寒くて暗いし風水的にもよくない・・・

今はもう使ってない可燃性ガスのブザーが誤動作して大騒ぎという事態が何件かおきるし・・

古い棚を無理やり再利用しており,それが用途と合ってなくて雑然としている・・

教授が自分なりにモノを整理して箱にボコボコと物をいれて,何かがどこかに行ってしまう・・

去年は学生がゴミ置き場からボロボロの家具などを喜んで拾ってきて

ものすごいゴミゴミした汚い空間になってしまって

私も教授も嫌がってるのに,全然平気な顔で

ありえなかった.....

卒業生の使ってた机の中にはいろいろなものが雑然と残されていて

整理して引継ぎして卒業しろと言ってたのに・・・・

色んなものはガビガビノネトネトになって,たった1,2年で全てのものは

中古のジャンクの雰囲気・・・不潔感満載だし

ガサツなのでものを落としたり倒したりしてあっという間に壊すし,

本当に小学生レベルなのでは・・・

よく管理されてる分小学生の方がましなのでは・・・

学生が欲張って複数の実験室に自分のものを配置して

何がどこにあったかわからなくなってしまう・・・

学生が人の島から必要なものを持って行って返さずに

いつも探し物・・・

勝手な判断で大切なものを捨てたりして

ひどい・・・

 

綺麗にしてといってもできる人たちじゃないので

もっと用途を考えて棚を整備するとか

お金払っても据え付けのキャビネット廃棄するとか・・・

多少は綺麗にしたいと思える空間づくりのために

教授がなんか考えるべきなんじゃなかろうか・・

 

新設研究室の準備金とか配分されてたわけだし・・・

私が考えるところなんだろうか・・?

実験用のパソコンも足りなくていつも取り合ってブーブーしてるし

どれくらいお金使っていいかもわからないのでこちらも頼みにくい・・

教授は研究しないし毎日18時には帰宅するというのに・・・

こういうところに時間を使うべきなのではないか・・

そして指示するべきなのではないか・・

 

毎週ゼミのあとゴミ出しね!

と言ってるのにいつのまにかなくなってるし・・

教授も何も言わないし・・・

 

教授は他人に意見するのが苦手なタイプらしくて

よほど汚れてこないと何も言わないし

整理整頓についても何もいわない

いつか綺麗にするとは言っているが・・・

 

 

なんでもかんでも何かの上に適当に置いてあるので

あるものについて,薬品棚の一部にボックスを置いて

そこにいつも置くようにしようとおもったのだが

教授がそれいいねと思ったらしく,ボックスを大量に買って

学生に勝手に持って行って整理につかえ~~という感じになった.

しかし・・・また箱が大量に増えて

その中にまた雑然とものを詰め込むに決まってるわけで・・・

接着剤なくなったとおもったら

探さなきゃいけない箱が増えてしまったのでは・・・・

と思った・・

一人一個マイボックスがあるのはいいことだとは思うけど・・・

こういうのって最初に文化作れなかったら終わりじゃないか・・?

自然に任せてきれいになるはずがない・・・・

裁量がある人が,決めるべきなのでは・・・

 

学生の実験データも色々適当だし

ねつ造って言われても仕方ねえぞ・・

みたいなこと多い・・・

私もこういう学生だったのかな~~~・・・・

T橋出張のはなし

 

 

T橋に出張でした

 

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駅ちかの焼肉屋さんのランチで三河牛たべました。

普通でした。

 

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あんかけスパたべました。

理解を超えた味でした。

美味しくなさそうだなとは思ってたんですが

ちょうど駅近くに評判のいい店があったし

一度も食べたことがなかったので,食べてみたんです.

ソースの味が,全然意図が理解できませんでした・・・

でも定期的に食べてるとよさが分かるのかもしれません.

また太ってしまいました!!

 

学会は楽しかったです。

 

意外とウケが良くて

もう論文だした?うちで物性測りなよ,そんで論文に名前出してくれたらいいから・・

うちの研究会はいりなよ,教授の先生も一緒にさ~

このあとうちの大学にきなよ!装置見せてあげるよ!!

と声かけてもらい,嬉しいような,なんか怖いような・・

全部成果喰われてもってかれてしまうのでは的な・・

自分のボスも含めて,どうやってかかわっていくべきなのか

全然よくわからない・・・・

でもこういうために学会ってあるんだろうか・・

ボスに相談したところ

どうするかはおまかせします

と言われる.

それでいいのかーー!!!!

 

あと私じゃなくて教授がやってる研究だと思われてしまう!!

あなたの先生きてないの?あなたの先生と喋りたかったな~~~~~

あなたの先生誰先生???

と複数の人に言われる・・・

私がやってる研究なんですけどーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!

予備審査がおわる

予備審査がおわりました.

やることをワ~~~ってやってたら当日になってしまったかんじで

そんなにストレス感じずに当日を迎えられた感じ.

ああわたし..強くなったな・・頑張れるようになったな・・と思った.

予備審査そのものは結構優しくて

私の境遇を憐れまれているのかと思った.

 

主査の先生によばれて,

予備審査は通過になった,これからやるべきことは〇〇だけど

別にそれができなくても大丈夫ということです.

 

と言われる.えっそんな予備審査ってありなの・・・・?!?

これで・・・T大の博士・・・とれるの・・・?????

 

と思った.

 

そして帰宅するときに

 

私ここ半年ずっと心臓が不整脈っぽいというか

心筋がピクピクする感じが断続的にあったんですけど

それが突然なくなったんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!

 

すごくないですか?

普段24時間D論のこと考えているつもりじゃないのに

なぜか心臓がピクピクしてたんですよ.

(夏で出張に行ってた間は収まっていた)

そして,なんか大丈夫そうなこと先生に言われたとたん

収まったんですよ!!!!!!

こわ!!私この先もっと大変なことがあったら

私の心臓どうなっちゃうの!?!?!

 

そんで,視野が広いきがした.いつもより,もっと広く景色が見えるきがした.

 

あれ・・・・・・・・・・・・・・・

不思議・・・・・・・・・・・・・

やっぱりストレスだったのか!!!!

わたし!ストレスじゃないと思ってたのに!

やっぱストレスだったんだな!!

 

と思った.

 

博士論文を来年はやらなくていいかもしれないだなんて信じられない・・・

ここ二年程大学の研究も並行してやって,

私がまともな人間だってわからせてやると必死の形相で生きてたところがあって

それって博士論文のストレスという,脳内麻薬が効いていたのかもしれない.

博士論文に苦しむのが私のアイデンティティと化してる部分があって

来年の自分が想像できないっていうか

来年の自分がそんなに幸せだったら

今までの自分ってひどい気もしてきて

ショーシャンクの空にみたいに

刑務所を出た後に自殺するみたいな

そんな気持ちになるんじゃないかという不安がよぎった.

 

すごい...来年博士論文やらなくてよかったら

他に何をやるんだ...エネルギーの矛先を何にむけるんだ・・・

それを探さなきゃ!!と思った.

 

ほんと博士って早くとるべきで

こんなに遅れさせたということにムカムカしそうにもなった.

私が提出したアカハラ告発文

私が博士で困ったときに実際に大学に提出した要望書をここに貼ります.

説明しにくい関係性が良く書けているとほめてもらい

専攻内で指導者が変わりました.

 

証拠がなくても指導者の変更はできます.

慰謝料を貰って制裁を加えてもらうには,証拠が必要でした.

 

 

要望書

 

私は2013~2016年度にAキャンパスのB研究科のC専攻に在籍していました.D研との連携大学院制度のE研究室で博士課程に所属し,事実上の研究拠点はD研でした.修士課程はE大に在籍しておりましたが,D研で研究をしていました.すなわち,D研でS先生の指導を6年間受けました.博士課程では4年在籍しても博士がとれず,現在F大学で助手をしながら博士取得を目指しています.S先生とのことで困り,博士の学位取得に支障がありますので,以下に詳細を記します.

 

1.経緯 と現在の状況

指導教官のS先生についての相談です.(以下S先生)当初は異様に優しくされ,その後モラルハラスメントがあり,洗脳されていたため,扱いを甘んじて受け入れていたのですが,卒業してからハラスメントをされていたと確信しています.

(セクハラに関すること)

女性にランク付けを行い,お気に入りとそうでない人にあからさまな態度の差をつけます.彼氏がいるかいないかなどの情報が大好きで,また,予測で人の恋愛事情の噂を流したりします.(「Lさんは今度のフロリダの学会に彼氏と一緒にいってディズニーに泊まるからウキウキなんだぜ」など.本人に聞いたら根も葉もない嘘だと言われました.)

お気に入りの子をあからさまにチヤホヤした直後に,私が話しかけると「なんだよ!」「ああん??」と大げさに感じの悪い声をだし,惨めな思いをさせて,楽しみます.

忘年会があったとき,HPに載せる集合写真を撮るように命令され,撮ったものを渡した時,「どれがいい写り?」と聞かれたので,「どれもほとんどおなじかと思います」と私が答えたところ,「お前の写りなんてどうでもいいんだよ,田中さん(お気に入りの事務職員.この後も頻繁に登場)が可愛く写ってるやつがいいだろ.田中さんが可愛く写ってるこれにしよっと.ああ田中さん可愛いなあ.これを見て受験生がいっぱいくるね.」と,とても感じ悪く言われ,こんなコントのようなセリフがあるだろうかと衝撃を受けると同時に,とても惨めな気持ちになりました.あからさまに田中さんを持ち上げることで,私を惨めな気持ちにさせようとしました.受験生を増やすためには看板娘で引き寄せなくてはいけないといつも言っており,女性を見た目と年齢で明らかに優遇します.その時には私に意地悪な視線を送るのがお決まりで,私が惨めな気持ちになったり,田中さんに嫉妬するのを期待しているようでした.

実験室でも,S先生と田中さんだけ話して盛り上がっていて,私が話に入ることはほとんどなく,空気のような扱いでした.ずっと黙っているのも感じが悪いかと思って,さりげなく会話に入ろうとしたときに,「うわっびっくりしたーBrunnenさんいたんだ」とニヤニヤし,また田中さんとだけ話し始めました.惨めな気持ちになりました.話の輪には入っていないのに,たまに当てつけのようなことを言われるので(理系の女はゴリラみたいなのばかり,など),先生がいる実験室で作業がしたくないと思えるときがあり,時間をずらして実験しようとしたところ,「なんでこないんだよ」とニヤニヤしながら言われました.私が居づらいと感じているのを見越しているなと思いました.イヤホンをして自分だけの世界に入ろうとしたら,実験中はイヤホンを禁止にされました.また,実験は1日がかりなのですが,椅子に座るのも禁止されました.立ってやれとのことです.座っていると,やる気なさそうだね,楽そうだね,と言われるので先生がきたときは立つようにしていました.見ていないようで実は廊下などから監視していて,さっき座っていたでしょう,スマホみてたでしょう,などと言われるので気が休まることがありませんでした.

私が机の上にピラミッド状に並べていたミカンをバラバラにしたり,朝いくと,空き瓶の中にはさみが刺さったものを机に置かれたりしました.この件に関して,後輩や事務の女性に,「嫌がらせをされているのではないか,Brunnenさんは傷ついていないか」と心配されました.ほかのことに比べれば些細なことすぎて何とも思いませんでした.

「Brunnenさんが落ち込んでいるところが面白いからいじめちゃう.俺ドSだから.」と言われたことがあります.嫌がらせをすることを,自分がSだからと理由付けすれば,問題ないと考えているようです.おかげで20代なのに自分は可愛くない高齢の女で,女としてもう終わりかけなのだと思いながら過ごすことになりました.

虐められるのを恐れた学生に,自分の欲求を忖度させようとします.(長時間労働,意義のわからない実験,送り迎え,性的関係など)修士2年くらいのときに肉体関係を忖度されそうになりました.研究室に男子学生がいたときは,研究室恋愛禁止と何度も学生に注意していました.トラブルになったり,別れた研究室カップルがOB会に来なくなるという普遍的現象を防ぐためらしいです.私が男子学生にデートに誘われたことがあったのですが,その噂を聴くと,「デートをするな,恋愛は禁止だ」と言いにきました.男子学生にも直接注意し,他の学生にも面白おかしく言いふらし,いいゴシップになりました.男子学生側も気まずかったとおもいますし,この対応がそもそもトラブルなのではないかと思いました.平気で学生の悪口をほかの学生に言い,研究室の人間関係にヒビを入れるのに躊躇がありません.その後,在学生が女子学生しかいない年になったとき,二人きりの時に私に,「これからは研究室で恋愛をしてもいい.もしダメになっても,ほかに研究者がたくさんいるから,その人に指導をうければいい」と言われました.その後も何かにつけ,「奥さんとうまくいっていない,離婚する」「奥さんは家事もしないし太っている」「不倫ってどう思う?」「彼氏いるの?」「彼氏いるんでしょ?」などと言われました.これはS先生が暗に不倫に誘っているのだろうと思いました.直接的に誘ってくることはせず,後から問題になったときに備えて,私の責任で不倫を始めようとしているのだと思いました. S先生に意地悪をいわれて,混乱し,落ち込んでいるときに,「いいたいことがあれば言っていいんだよ?」「僕が何を考えてるか知りたいなら聞いていいんだよ?」ととても優しい口調でいわれ,私の精神を揺さぶり,こちらから不倫を誘うように仕向けているのかと思いました.

当初はS先生が純粋に私を好きで,意地悪したり優しくしたりしているのだろうと冷静に解釈していました.なので,人間のモラルとして,先生の自然な感情を問題にしたり公にする気持ちはありませんでした.しかし,不倫なんてありえないと思っているので,気づかないふりをしつづけたところ,どんどん対応が冷たくなっていき,無視や事実上の指導放棄をされるようになりました. ずっと信頼していた先生だったので,経験の浅い女子学生の不安定な精神につけこんで,性的搾取をされそうだったのだと思ったら,とてもつらかったです.飲み会の時は,帰りがけにじゃあホテルいこうか!などと言われました.

いままでたくさんの女を都合よく扱って捨ててきたと自慢しています.悪い男だったアピールをよくします.女性を軽んじているんだなと思いますし,そんなことを言いながら口説くところに不気味さを感じます.他人の気持ちを想像する力が極端にないと思います.

話していないのに,彼氏がいるという前提で話をしてきます(俺の誘いに乗らないのだから彼氏がいるに違いないという論理だったように思います).「学生時代の彼女なんて,遊びだし捨てられる.30代後半まで仕事だけして,そのあとお見合い結婚をしろ」と言われました.一方で,先輩のLさんが32歳くらいのときに「Lさんももう結婚していいんだよ,もう若くないんだから」とニヤニヤしながら言っていました.男は年を取っていてもモテるけど,女はちがうと何度も言ったり,芸能人の年の差カップルの話題を何度もしており,職場の若い女性と付き合えると思っているんだなと感じました.

S先生が学会幹事だった時に,会場の下見にいく仕事がありました.そのとき田中さんを,沖縄に連れて行ってやる,と得意そうに言っていました.ほかの秘書さんも学生さんもいる前で,沖縄で仕事を名目にいかにオイシイ思いができるか得々と話し,俺の力があれば好きなところに行ける.沖縄に田中さんを連れて行ってやる,と得意げでした.しかし,田中さんはS先生との泊りがけの仕事に身の危険を感じたのか,断りました.するとS先生は「H先生のところの秘書は言えばどこにでもついていくのに!H先生の秘書はいつでもべったりなのに!断りやがった!」と何度も言っていました.

女好きであり、女子学生を入学させたり秘書を三人雇うなど執着する一方で,女性を軽蔑しています.女性活躍推進なんて本当は誰もやりたくないけど仕方なくやるんだ、女なんて使いづらいと事あるごとに言い、とても居心地が悪いです。私のことも暗に言っているんだと思い,つらかったです.産休をとった職員に、計画性がない、お盛んですこと、やめさせろ,仕事ができないくせに権利ばかり主張する女、などと影で何度もいっており,本人にも冷たく当たっていました.その人はS先生に冷たくされることを悩んでいるという噂を聞きました.そのあと,その人は部署が変更になりました.

BキャンパスのG棟の事務の女性の間でもS先生のセクハラは有名らしいです.「もっと短いスカートをはいてこい,お前みたいなババアのミニスカートなんてみたくねえよ!」などの発言をすると事務の女性に聞きました。

学生時代に,28歳の事務の女性をババアとバカにしていたのを誇らしげに話していました.学生から見たら28歳なんてババアだよね!と当時28くらいだった私の前で当てつけのように言いました.女性に向かってババア,〇〇さんは完璧おばさんだよね,若く見えるよ,など,上から目線で査定する発言が多いです.女性がおばさん扱い,お局扱いをされるのを怖がるように仕向けて面白がっていました.

お局さんのように扱う虐めもされました.詳しくは覚えていませんが,「お前田中さんに〇〇してやれよ!!!」と怒鳴りつけられました.まるで若くて可愛い田中さんにお局の私が嫉妬して何かをしてあげなかったところを叱っているようなそぶりで,とても惨めな気持ちになりました.事実,この生活の中で私は田中さんに劣等感を感じるようになったのですが,そういう気持ちを責めてさらに私を惨めな気持ちにさせようとしました.毎日貝のように過ごしているだけで意地悪などは決してしていませんでした.オロオロした私を,ニヤニヤと観察していました.代々の女子学生に似たようなことをやっています.

また,飲み会などでは,体に触りまくってきます.お酒を飲めないやつは偉くなれないと言いながら,無理やり飲むように何度も言われました.S先生はビールが飲めず,蒸留酒なら飲めるらしいのですが,自分がそうだからと,蒸留酒なら飲めるはずだ,ノリが悪いと繰り返し言われました.私は全くお酒が飲めないのですが,口元まで持ってこられて無理やり飲ませようとしました.本当に飲めないのか?本当は飲めるんだろう?前飲んでただろう?と何度も何度も言われました.人差し指で私をまっすぐに指さしながら,「コイツは~~~」と言い,田中さんと容姿を比較されました.「田中さんは可愛い,体格も肉づきもちょうどいい,ちょうどいいよ~~~」と私の方をチラチラ見ながら何度もいい,私の惨めな気持ちを誘おうとしているようでした.こういうのは,キャバクラなどでお金を払って楽しむことなのではないかと思います(それでも嫌がられると思います).耐えかねてしまい,冗談っぽく,なるべく角が立たないように,「それってセクハラですよ~~」と1度だけ指摘しようとしました.私はうまく冗談っぽくいうことができず,声を震わせながら言うことになってしまいました.そのとき,テーブルは水を打ったように静かになってしまい,S先生は「セクハラじゃね~よ!!そんな風に上司を脅す女は恐ろしい女だ!研究室をやめろ!もう来るな!」「明日から来なくていい,サヨウナラ!」「この女本当に怖いわ~!ね~田中さん助けて~」「こいつとんでもない女ですよ,ねえ◎◎さん(当時のグループリーダー)」「こんな人間とやっていけない」と私を指さしながら執拗に言いました.私はそこで,今まで耐えてきたものが爆発してしまい,涙が止まらなくなって嗚咽で呼吸が苦しくなりました.ここには,Hさん(グループリーダー)もいたので,偉い人の前で私がわざとセクハラを告発して盛大に泣いたのだと,先生は被害者的に思ったのではないかと思います.私が泣いたので,この時は謝罪されました.しかしその後も酔っぱらった先生は,「俺は四六時中エロいことしか考えていない,お前もどうせエロいんだろ?」など,とても下品なことを何度も言っていました.また,股間に手を当てて,蟹股でスクワットしながら,パーにした手をビラビラと動かし,「エロエロエロエロオオオオオ~~~お前もエロいくせに!!」と叫んで威嚇してきました.翌日,何も覚えていない,ごめん,何か失礼なことを言ったかな?と謝られました.ココア味の黒いちんすこうに白いチョコレートがかかったものをお詫びくれ,後輩から「これもセクハラの延長なのではないか」と言われ当時は意味がわかりませんでしたが,どうやらちんすこうは男性器を連想させるものであり,「Brunnenが喜んで黒いちんすこうを食っている」と陰で侮辱していたそうです.やっぱりいやらしい目で学生のことを見ていたんだなとこの時思いました.我慢していたS先生への不満がこのときはっきりと自覚され,しばらく研究室でもっと暗いキャラになってしまったと思います.

この飲み会のあとから,S先生は自分に少しでも牙をむいたとして私への興味が完全になくなり,煙たい存在として認識するようになっていったと感じます.体に触られたり,田中さんとのあからさまな比較をされることはなくはなりましたが,本格的に冷たい態度と,指導の牛歩が始まりました.また,そこからS先生は飲み会でお酒を飲まなくなりましたが,暗いスネたような態度で,私とほとんど接触しないようになり,とても居心地が悪かったです.私が話しかけても,途中でそっぽを向いて話を聞かなかったり,興味なさそうにされて,私から話しかける気力がそがれていきました.私のせいで,S先生は飲み会が楽しめなくなったという感じがして,つらかったです.

学生がつらい思いをしないように研究室内恋愛禁止にしているとのことでしたが,結局目を付けた女子学生が彼氏を作らないようにするための規則だったと思います.以上のことはS先生が私利私欲のために公を巻き込んで,みみっちい嘘をつく人間だということを示すわかりやすい事例だと思います.ちなみに,OB会は一度も開催されていません.

 

(指導に関すること)

私はやる気のある学生で,S先生とうまくいっていたときは修士の結果で3本の論文をだすことができました(運と当時の先生のおかげででもあります).私はずっと研究者になりたかったのですが,経歴に自信を持てなかったところをS先生と出会い,優しい言葉をかけられ,感動しました.研究者になるためなら,どんな努力もしよう思い,意気揚々と博士課程に進みました.なお,夜型のために,朝行くのが遅いことはありましたが,どんなにつらくても不登校になったことは一度もありませんでした.毎日必ず研究室に行きました.ゼミも無断で休んだことは1度もありません.

S先生は学部がI大出身ではない人を見下した発言が多く,楽して院からI大に入ってメリットを享受して卒業していく学生をよく軽蔑していました.本来I大なんか入れないくせに,I大卒になれるんだから,せめて奴隷のように働けと思っているようでした.どんなに頑張ってもほめてもらえる人はほとんどいませんでした.Aキャンパスの学生は学生証がピンクだとバカにされました.AキャンパスとJキャンパスのやつは区別されてるんだね!と言って高笑いしていました.

S先生がお正月もお盆も土日も休まないで,朝から深夜まで仕事をしますが,それが絶対的に偉いことだと信じています.10年近く実家に帰っていないことを自慢していました.それができない学生は文句を言えないという雰囲気でした.私も頑張っていましたが,後半はつらかったです.休みの人や楽しみがある人は,嫌味を言われました.怖くて平日に自分の予定をいれることがほとんどできませんでした.「Brunnenさんって将来は定時に帰りたいとか思っちゃってるの?K先生は夜の3時にメールを送っても返ってくる,若いBrunnenさんはもっと頑張らなきゃいけない,これを一生続けるんだよ.」と言われ,研究者になれる自信がなくなっていきました.研究だけに人生をささげるのが普通という態度で,人間関係の切り離し状態になりました.ライフワークバランスをバカにしています.

一方で,博士4年の差し迫った時期に,部署の人が火災を起こしたため,学生全員が実験停止になることがありました.私の装置は一切火災の心配がなく,学生の実験の可否は当時グループリーダーだったS先生の裁量で決められることだったのに,1か月以上実験をさせてもらえませんでした.

来客があると,研究所から最寄り駅までの送迎を学生に当然のようにやらせます.日曜と月曜に,泊りがけで30人くらいの来客があったときに,車のある学生が何度も往復して送迎するように言われましたが,ちょうど無料連絡バスがくる時刻だったのでそれに乗ったらいいのではないかと提案したところ,その日は非常に不機嫌になりました.学生が自分の命令で,必死のサービスするところをお客さんにみてほしかったようです.

小さな学会が研究所であったときにも,スタッフとして学生全員が強制参加になりましたが,学生は懇親会にも呼ばれず,バイト代も1円もでませんでした.学会参加者の集合写真にも写らせず,写真撮影だけやらされました.ちなみに田中さんは懇親会にも参加しました.

研究室居室や実験室の引っ越しがあったのですが,ひどく大変な作業が長期続き、学生を毎日当然のように引っ越しの手伝いに使いました.疲れた表情だったり,進んで行動しない学生を嫌って対応に差をつけていました.一番田中さんがよく働いたらしく,田中さんしか頼りにならない,田中さんだけが俺の味方だと言っていました.しかし学生も十分すぎるほど働きました.しかも,田中さんはお金をもらって先生に良くされていますが,学生は学費を払って冷たくされていますし,田中さんが帰った後も学生は作業をして,研究や実験もします.学生たちは引っ越し屋さんのような日々を送り,感謝もされず冷たくされ,そんな風に言われてがっかりしました.学生がいない少人数部署もたくさんあるので,そこはお金を払って業者の人に引っ越し作業をしてもらっているのだと思います.もちろん学生には1円も出ませんでした.私があまり力がなかったので「お前はやらなくていい」とかなり冷たく言われました.このため,手伝わなかった日が何日かあったのですがS先生が,「あいつはなんにもやらなかった」と陰口をいっていたと後輩から聞きました.必死に追いすがって手伝うべきだったようです.ほかのいろいろな部署の自分より立場の高い人にむかって「こいつら(学生)引っ越しに好きなように使ってください」と触れ回っていました.機嫌を取るのがうまい学生が好きで,不器用な学生は嫌いです.学生はお給料を払わずにテクニカルスタッフのように使えるから学生が沢山ほしくてたまらない,と普段からいっており,だから大学の先生になりたいと言っています.あまり頑張らない学生がいるとものすごく冷たく接します.

博士3年の11月の忙しいときに,学会のイベント(テーマに沿った工作物を展示するようなイベント)に出ることになりました. S先生が出たがり,研究室から3件エントリーしました.チームの後輩がまったく頑張ってくれなかったので,必死にやっていたのですが,結局ひどい仕上がりになってしまい,「何もかもちゃんとできないね」となぜか私だけ学会会場で言われました.コンテストの準備時に研究室の共有のはさみに樹脂がついて,汚れてしまいました.洗えと繰り返し言われ,何度洗っても,樹脂が癒着し落ちきれなかったところがあったのですが,弁償しろよと言われました.同じものを買って渡したところ,「もっと良いものでもいいのに.気が利かない」と言われました.後輩も自分のお金で実験用の消耗品を買っており,疑問を感じているようでした.私が現在勤める大学では学生がものを汚しまくりますが,私には,学生のお小遣いで研究室の消耗品を弁償させるなんて考えられません.

テレビの取材がきたときに,S先生は大得意でした.S先生が選んだお気に入りだけ映ることになりました.撮影準備中の実験室に,私は別の用事でいって,ついでに撮影用の装置を見ていたところ,「出て行って!なんで来たの?何時から何時の間は入らないでね?」と半笑いで言われ,別に映りたくて行ったわけじゃなかったのに,あからさまに仲間外れにされ,惨めな気持ちになりました.後日放映内容について良い感想を言おうとしたところ,フン,という感じで笑われました.私が惨めな気持ちを味わいながらも,必死でおべっかを使うのが面白いんだろうなと思いました.

学振の研究員に採用されましたが,その研究費はすべてS先生の裁量で使われました.形式上何が欲しいか聞かれることもあったのですが,ディスプレイを買ってほしいと言いました.しかし,学生には与えない,お前だけディスプレイを使っていたらほかの学生に不平等だろうと言われ,ノートPCの小さい画面でずっとやりました.17時に帰る田中さんには大きなディスプレイを与えており,みじめな気持ちになりました.

学振のお金でノートパソコンが3年間で1回だけ買えるのですが,私はそれを楽しみにしていました.3年の最後にハイスペックのものを買って,それをもって就職したらいいとずっと言われていました.3年の暮れに選ぶときに,ほとんどの商品にないような条件を必須にされ,なかなか買えませんでした.10万以下のものをやっと買えて,自分の研究費(?)で,選んだ自分のパソコンが初めてで喜んでいたのですが,大学の予算で買ったものだから,H先生に渡さなければならなくなったと買った直後に言われ,回収されることになりました.就職直前に手持ちのパソコンがなくなり,何も作業ができなくなる期間が発生してしまうので,4月くらいまで貸してもらえないかといいましたが,「H先生がよこせといっているから3月中に絶対返して.次の就職先の先生(まだ会ったこともない)に頼んでパソコン送ってもらえば?」と言われました.パソコンに私の手の脂の跡がついているのを見ると異様に気にしていました.しかし,後日学会でS研の発表をみていたところ,S研の学生がH先生に渡すはずのノートパソコンを使っていました.私にいいパソコンを極力使わせず,最後も渡さないように嘘をついていたのかなと思わざるをえませんでした.学振の予算で買った本にも,これはH研のものだから,持ち出さないようにと言われ,律儀に「持ち出し禁止 ◎◎研究室」と全てにシールを貼っていました.学振の申請書を,手伝ってくださったので,S先生自身の研究費だと思っているのだなと思いました.この事例からも,学生に得をさせたくない,自分が得をしたいと思っており,このためにみみっちい嘘をつく一貫した性質が見えてくるとおもいます.

私のテーマに必要な工程を,なぜか田中さんと先生が内々に進めていて,私にすることを与えず,長期間待機させるということがありました.田中さんが作った粒子で計測をして,その粒子が使えなかったので,D2でテーマが変更になりました.私も粒子づくりがしたいといったのですが,待っていろとだけ言われるので,不安になりながら論文を読んだりしていました.D4の後半になってから,「あの時に自分で新しいテーマを考えて提案すればよかったのに,自主性がないよね」と言われ,確かにそうだったのかもしれませんが,惨めな気持ちになりました.

指導として,提出した論文を1か月以上みない,やっと見てくれたとおもったら,ほとんど適切な指導がされないことが多いです.堂々巡りの指導をされ,4年間一本も論文を出せませんでした.一方で英語や言い回し,誤字脱字などについては,異様に細かいこだわりのある指示を出してきて,まったく先へ進めません.完璧な英文をかける日本人など多くなく、校正者にわかるように意味を成す文簡潔に書いて英文校正に出すのが普通だと思うのですが,文法を完璧に直しS先生の好みを当てるまで許可してもらえません.S先生の好みがあるなら,それを言ってくれればいいのに,具体的には言わず,なんかこれは違うから直してきて,と指示される繰り返しです.また,情報を曖昧にした状態で,繰り返し同じ実験をやるよう命令されました.どんな論文を読んだらいいか,何を勉強したらいいか何度か聞きましたが,一度も教えてくれませんでした.論文を投稿した際,査読者に,予想でもいいので現象のメカニズムを答えるようにいわれました.メカニズムには証拠がなく,推論に頼る状況でした.S先生は,現象に目星がついているように振舞いながらも,私には詳しく説明せず,「これは,査読者の罠なんだ,証拠もないのに,推論でこたえるとリジェクトされるのだ.わからないとだけ答えろ」と言いました.結果,リジェクトされました.その後,俺がこのリジェクトされた論文を書いて出してやると言われましたが,3年たっても何も言わず,何も行動してくれませんでした.進学当初は,博士は教員についてくればとれる,博士が取れない人は教員がいけないのだ,俺が常に一歩先にいるようにして導くと言っていたのですが,なかったことになったようでした.不倫に誘った後気まずくなったので,方針が変わったのだと思いました.

同じ実験や,意味のない実験を,理由や意図を詳しく説明せずに繰り返しやることを命令されました.頭が悪いから意図がわからないのだ、自分で考えろ、呆れたもんだ、という態度で何度も実験をやらされたため、口答えができませんでした。また、口答えをする学生がいると,すごく悪口をいい、可愛くない!気の強い女だ!というのを知っているし,もっと風当たりが強くなるのをみていたので従う方が早いと思って言えませんでした。

当時,1セットの実験で200パラメータがありました(ある装置内部の3断面について,4条件×8条件×スカラー場とベクトル場を別々にとる).これを3セットきれいなものを用意するのを求められました.まずセットアップに時間がかかり,このセットアップに一日かかることもあり,翌日続きをやろうとすると,夜の間に状況が変化して,セットアップがやり直しになることも頻繁にありました.1パラメータとるのに4分ほどかかります.微妙な実験なので,実験途中にわずかに傾向がかわってきてもすべておじゃんになりました.解析とデータ整理も合わせると1セットをまとめるのに1週間以上程度かかります.高精度を求められ,3回やるだけでは不十分で,この精度ならOKとS先生が認めるものを3セット求められました.制御が難しい現象だったのですが,先生のこだわりに沿うデータを求められました.何に拘っているのかはについて丁寧な説明もなく,何度もボツになりました.今でも何に拘っていたのかよくわかりません.3セットの裏にはものすごい回数と時間をかけた実験があります.これをさらに別の形にした実験装置について,4パターンやるように言われました.データがそろってきた頃なって,やはり3断面ではなく5断面にして,冷却温度を変更することにしようということになり,すべてやり直しさせられることが2回ほどありました.このとき,本当に悲しくて,抗議したのですが,ダメでした.「あのとき本当に嫌な顔をしていたよね」と後から嫌味を言われました.とにかく文句を言わず毎日馬車馬のように働くことを求めます.これで新しくいい考察ができるわけでもなく,ただ少しデータをきれいにするための作業でした.博士の後半はほとんどこの作業だけで終わり,自分が進んでいる感覚がありませんでした.ゼミでもいつも同じことを発表していて,博士学生なのに悲しくなりました.

現象のメカニズムが不明だったのですが,この実験では検出できそうもないと訴えていました.しかし,S先生は何度言っても納得してくれず,繰り返しやるように求められました.考察してやるから,200パラメータそれぞれについて,過渡変化の画像を2時刻について,20枚ずつパワポに並べて,かつグラフを作るように命令されました.しかしとんでもない作業量だし,そもそも検出できないと感じているものを先生に納得させるための作業なので,完全にはできませんでした.すると,根性がないと残念そうにされました.200パラメータあるので,まじめにやれば800ページ以上になるデータなのですが,力の限りやってできなかった資料について,パワポの脚注が適当だとか,仕事が雑だ,信用できないと言われました.また,800枚もスライドを作れないので,自然とまとめられなかったデータがあったのですが,このパラメータはどうしたんだ,持って来いと言われ,その対応に追われて無駄に時間が過ぎました.もちろんいつも考察のようなものはしてくれませんでした.いつもただ,もう一度やってみろ,そうしたらいいデータになるかもしれない,という指導でした.今思えば,こんなに何度もやらなくても,熱電対でとったデータから温度を推定したり,数値計算をすればよかったのに,そういう方法を提案してくれませんでした.私から提案したこともあったのですが,なぜか却下されたので,そこを押し通す判断力も勇気も自信もくじかれていました.それに,先生はきっと本質的には私の味方なのだとこの時は信じていました.とにかく根性でついていくしかないのだと思っていました.でも,穴を掘らせ,その穴を埋めさせるような,ナチスユダヤ人にやらせた強制労働のようだと感じていました.みんな博士課程はつらいし苦労すると聞いていたので,これもその一部なのだろうと思い耐えました.しかし,みんなの味わっている苦労とは違う,質のわるい苦労だったと思います.このため、博士論文のストーリーや考察をうまくまとめられないまま4年間がすぎてしまいました。

最終的に,この実験でメカニズムを示せないという合意に至ったのですが,そのときになって「最初からそういう実験系だってわかってたよ」と言われて,めまいがしました.

今思うと卒業を妨害するための指導だったと感じています.私が可愛くない邪魔な学生となったため,指導しているように見せかけて,進まなくさせ,挫折を味わせ,研究をあきらめるのを待っていたと思います.女として否定され,生活の大半を占める研究室の人間関係で疎外され,長時間労働の強制による人間関係の切り離し,恋愛や結婚に指図され,少しでも休むと嫌味を言われ,堂々巡りの指導をされ,未来に希望を感じられなくなり,在学中にうつ症状と心身の不調が出ました.いつも脳に泥水が入っているような感覚になり,携帯電話をどこかに忘れてきたり,パスケースを何度も紛失したり,いつもの自分ではなくなっているのを感じました.ベランダから飛び降りれば楽になれるし,S先生も,私がどんなにつらかったかわかってくれるかもしれないと何度も思うようになりました.このために研究がさらに進まなくなり,能力を否定されることを言われ,さぼっていると言われ、1日も休むなと言われ,一方で土日に研究室にいると,「何しにきたの?」など冷たく言われました。夜寝る前にウイスキーを一気飲みすれば4時間で目がさめるから,それを毎日やって研究するように言われました.(S先生はそれをやっているそうで,そうじゃなければ立派な研究者になれないと言われました)それができなかったため,ダメ人間として認識されているのを感じました.S先生が朝から深夜まで研究室にいるので,そうしなければいけないという空気が蔓延していました.修士からの2年くらいは意気揚々としていたのでできましたが,ダメになりました.S先生は一時期鬱病の研究をしており,鬱病になるようなやつは社会から必要とされないし,出世コースからはずれるから,鬱になってはいけないし,鬱になっても隠すのだと言っていました.なので,こんな状態になった私は恥ずかしいことなのだと思わされました.また,鬱になった状態で誤字脱字や英語の完璧性を責められるのがしんどかったです.一日も休むな,限界を追及しろ,と鬱の研究をしていた先生が発言するのは,やはり嫌がらせだったのではないかと思います.

研究室を去る最後の日「ごめんね.よく耐えたね」と言われました.いろいろなことがありすぎて,何について謝っているのか全くわかりませんでした.やはり謝るような指導をしてきたという自覚があるのだと思い,絶望しました.この一言で,これまでの何もかもを私が許すと思っているのかと思ったら腹が立ちました.

現在も論文投稿の許可を得るために連絡してもほとんど無視され何もすすみません.これではいけないと思い,自分の判断で投稿をはじめたところ,今の職場にうつってから2本論文が掲載され,やはり私の能力が低すぎるのではなく、適切な指導をうけていなかったと思います.私の在学時から出向があり,出向中はほとんど学生の指導をしません.今も出向中です.

今年度卒業したいと伝えたところ,「いいと思います」と回答したにも関わらず,そのために必要な論文等について連絡せず,期日を過ぎたときにこの論文数では卒業させられないとだけ伝えられます(最初は1本でよかったところを,最近2本必須に変更されました).

メールでは何も決まらないため,論文の内容をFIXするため打ち合わせをして頂きたいので,いつでもどこでも空き時間に伺うので,あいている時を教えてくださいと連絡しましたが,当面忙しくてあいていないと言われてその後連絡がありませんでした.しかし,ある学会の懇親会にのみ顔を出しており,鉢合わせしました.あいさつに伺ったところ,「ずっといたの?へ~・・」とだけひきつった顔で言われました.その懇親会でみんなの前で,「女子学生なんかいてもなんのメリットもない」と言われました.

不倫に誘い,指導放棄したうえ,女子学生なんかメリットがないと言えるのは,学生を私利私欲を満たすための物,女子学生は無料テクニカルスタッフ兼お金を払わずにことを致せる売春婦,しかもそれを喜んで受け入れることを期待しているのであり,とんでもなく低く見られているものだと思いました.

以上の経緯より,S先生は,歪な性の価値観を持ち,学生の尊厳を踏みにじることに疑問を持たない人間であり,とても教育者としてふさわしくない人間性であると私は考えています.

S先生の許可を待っていては博士を取得できないと考えています.博士論文の内容はS先生の指導では全く進まず,一方で自分の力だけでほとんど形にはなってきました.

2.要望

①.指導教官,主査をH先生に変更し,今年度の博士取得に向けて指導をしてほしいです.この際,S先生の指導に問題があったため,投稿論文の必要件数を当初の目標であった1本で許していただきたいです.もしこれが実現できない場合,その理由を書面でいただきたいです.親がかなり感情的になっており,専属の弁護士に相談をしています.親の仕事の取引先の人が在籍する週刊誌に記事を書いてもらい,訴訟を起こし,S先生の社会的信用を失わせるために全力を尽くすと言っています.大事にしたくないので,親に行動をさせないように説得している状況です.板挟みで毎日が非常につらく,S先生のもとを離れ,一刻も早く博士が取得したいです.どうかよろしくお願いいたします.

②.S先生に関して,ヒアリングを行う際,セクハラのことを密告したと逆恨みをされるのが怖いです.ことの深刻さをわかっていただくため,ここでは報告させていただきましたが,何より名誉欲と出世欲があり,私というくだらない存在のためにそれが少しでもくじかれたと感じれば,逆上するのではないかと思います.今後の私の学会や研究活動で嫌がらせをしてくると思います.また,100%悪い思い出だけだったわけではありません(だからこそどこかで先生を信じてこんな状況になってしまいましたが).このため,私が指導を離れる原因について,出向しているため,私の面倒を見る時間がなさそうであるから,進捗が遅いようだから,指導教官を変えることにしたと伝えていただきたいです.S先生とフェードアウトがしたいです.

 

3.今後の連絡先

私の連絡先は以下になります.

 

 

以上,長文になり申し訳ございません.よろしくお願いいたします.

 

2018年10月4日

 

科研費申請書を書いた

はあはあ・・・

科研費の申請書かいた・・・

今年は申請内容を大幅に変更・・

去年までなぜか自分に過剰な自信があったらしく

科研費申請書の書き方講座~★

みたいな学内イベントに一度も参加したことがなかったんですが

今年初参加したところ,こりゃあ早く参加すべきだったなと・・・

結構申請書の項目の意図を適当に解釈してたし

とにかく書けばいい,私の全力をぶつけりゃいいんでしょ!?

と思ってたけどそうでもないわ!!

科研費申請書の書き方みたいな本もほんとは呼んだほうがいいのに

いろいろ忙しくて今年も読まずーー!!!だめやーー!!!!

 

教授の申請書が箇条書きと図と業績が羅列されていて,キャッチコピーも多くて

私のと全然違ってびっくりした.

この人全然研究してないけどお金はあるな・・・

と思ってたけどそういうことだったんか・・・・

でもキャッチコピーと図と業績の羅列に書き直すの難しすぎる!!

ただでさえ11ポイントで書ける量限られてるのに・・・・

しかし,削らなきゃ削らなきゃ・・・

と思いながら推敲すると,意外と無駄な事いっぱい書いてるのよね~・・・

文章かくって大変だ!!

正解ない!!戦略むずかしい!

去年まで謎の自信があったんですが,今年はあまりない・・

 

 

科研費説明会で「えっ,私の申請書ショボすぎ・・?」と思ったこと.

 

・研究環境について

私は今いかに恵まれておらず,装置がないかをアピる場だと勘違いしていたが

いかに恵まれているか書かなきゃいけないらしい.

意味がわからねえ.貧富の差を拡大する日本の政治を反映しているのですか??

 

・これまでの研究活動について

若干就活のエントリーシートみたいなノリでかいてるところがありましたが

バカでした!!!

この申請課題のために生きてきたことをアピールする項目です.

 

・業績を引かないといけない

リサーチマップになったから業績欄なくなったんでしょ?

リサーチマップをみてくれるんでしょ★

と思ってたけど,そんなのいちいち見てくれない確率高い.

ちゃんと申請書の中に業績を引用しないといけないのね!!!

 

・学術的「問い」とは何かめっちゃ書いたほうがいい

なんやその抽象的な「問い」ってやつはよ~~

この文系政治家どもが~~~!!!!どうっでもいいんじゃ~!

と思ってすっかり無視して「目的!」「背景!」でいいじゃろが~!!!

何が違うんじゃボケー!!論理的に説明せい~!!

と思ってましたが,この「問い」が何か答えないとアカンようでした.

しかも審査項目でもあるんですよ.

「問いが適切か」みたいな.

は・・・・・・・・・・・・・・・・・?????

去年も研究推進課の人から

「問いをかいてください」って差し戻されたんですよ.

は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・????

とおもった.当時.今も,思っている.

大きな絵を描いて,この研究の先にあるイメージさせないといけません.

「問いは,◎◎です」

って書いたほうがいいらしい.

なんだそれ.そんな文章論理が破綻しそうでこわい.

 

というわけで,今年は去年よりだいぶまともな申請書になったんですが

なぜか今年の方が自信ありません・・・・

はあ・・・科研費ほしい・・・・・

 

DC1の申請書を読み返してみたんですが

すごいヒヨコだな~と・・・

これでとれたんだDC1・・・・

必死こいて論文を書いているけど・・

元指導教官が一番頑張ってた頃の業績をみてみると

年間10本とかかいてて

やばいな~と思ってたけど,

英文と和文で内容かぶってたり

学会に参加するとそのまましょぼいジャーナルに出してくれるイベントがあったり

身内のしょぼいジャーナルの英文誌版に載せてもらったり・・・

していて,ちゃんとインパクトのあるしっかりしたところに筆頭で出しているのは

年平均2本くらいなんですよね.

意外とフツーなのでは・・と思った.

しかもノリにのってたのは3年くらいで,その前と今は全然出してない.

当時はすごい尊敬してたけども・・・

今度行く学会でその指導教官が招待講演するようなのだが,

10年前の成果をメインに話すみたいで,なんかしょぼいな~と思った.

追加で最近のことも少しは話すんだろうけども.

 

そんで,私もいま必死になってしょぼ国内誌とか

しょぼジャーナルにだしてくれる学会とか

Letterとかに必死こいて出して本数稼ごうとしてるわけですが・・・

(しかしLetterだからといって簡単に載るわけじゃないとおもう・・)

それって本質じゃないのかなあと・・・

若手のうちは本数多い方がいいからいいのかな~~

ちゃんとしたインパクトの雑誌0~2本+ゴミ沢山より

ちゃんとしたインパクト3本~を目指す努力の方が

いいのでは的な・・・

 

とりあえずいまの手持ちのテーマは広く浅いかんじで

一つにしぼって深くやる勇気もないし

乱発でたくさん出すのに向いている環境にあるんですよね.

でも一生そういうスタイルなのもあんまりよくないのかな~と.

 

あと,ハイインパクトのは自分で書こうと頑張って

しょぼジャーナルとかんじるものは修士の学生などの奨学金ハント材料

博士希望者の学振ハント材料として

差し出せるようにするスタイルがいいのかもしれないな~..

 

あと指導教官は某国研の人なのだが

その業績のために,某ポストに就く最年少記録を更新したらしい.

いろいろとカウントの方法によって違うとはおもうけど

あれで,あの国研で,歴史的に成果がある部類に入ってしまうものなのか・・???

そんなことってありえるのか・・?と思った.

本数で勝ったということなんだろうか・・

ちなみにその国研だとファースト以外ほとんど評価されないらしい.

それ聞くと本数も大切なのかな~と思えてしまうが・・・

私は国研で地位を得るために生きてるわけでもないしな~・・

 

あと知り合いの先生で,教授なのにみんな筆頭で書いてる人がいて

学生に文章もかかせて,和文の成果の筆頭も全部取っちゃうんですよね.

あの年なのに筆頭学生に譲らないってださいよね~

と元指導教官がいってて

いや・・・お前も似たようなメンタルだけどな・・・と思った.

私は助教なのに学生に筆頭譲ってて偉い!!!!

 

いつかは自分でやったハイインパクトのものだけは自分で書くようなスタイルに

行きつくのがいいんだろう・・

それ以外はサポートに回って,学生やポスドクなどが沢山かけることを

喜べるようなボスになりたいものだ・・・・・・・・・・・・・・・

軽い成果も全部おれのもん!!というのが教授までになるとかっこ悪いかも・・