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Brunnensteinの日記

後期吐死課程を経て春から大学教員デビューの日常

中高の部活で飲み会 スクールカースト

おでかけ

中高の部活で飲み会してきました…

部活のひとたちはみんないい人で
癒されるんですが
中高の人たちに会うと
なんか当時のことを思い出して
切なくなるんですよねーー
わたしって思い返してみると
結構一匹狼なところがあって
批判的な性格で
少しでも合わないところがあると思うが否や
このひとと我慢してつきあうなら
一人で本でも読んでた方がまし!!
とおもってすごしてたんですよ。
友達ゼロなわけじゃなかったけど…
下ネタとか気持ち悪いと思ってたので
そういう話できなかったし
意地悪めな悪口とか噂話とかばっかだし
お互いさまなのに他人の中二病に巻き込まれるのが許せなくて
音楽も芸能人も興味なかったし
 
自分が誰よりも色んなことを深く考えていると思ってて
そんな仲良くしたくないと思っていた反面
周りの子達が楽しそうにしてると
楽しそうにできないわたしって
なんかダメなのかな??
友達と楽しめないわたしってなんかだめなんかな…
お母さんにもバカにされたり…
なんかうまく立ち回れなくて…
いま思うと確かに空気が読めなかった部分があり…
そもそも自分が特別だとおもって
周りを見下してる感じで
常に他人と自分を比較してて
友達少ないの当たり前なんですが…
(比較がいけないと気づくの遅かった…教育も関係あるとおもう!)
黒歴史があったわけですよ…
 
卒業してからもみんな結構仲良いんですよ。
あーわたし人間的に魅力ないのかな的な。
同窓会とかいっても
あーこのひと私の存在なんも興味ないんだな、
なんか格下だとおもってんだろうな、、
とかんじることあるじゃないですか。
そういうのまともに傷付いてしまうんですよねーー…
まさに自分の性質だったことがかえってきてるのかともおもいますが。
 
でも当時のいざこざしてた人たちも
結局なかよくなってたりして
人間関係って我慢強さが大切なのかなー…と。
 
 
でも大学入ってからの飲み会とか集まりって
ことごとく楽しいんですよ。
お互いに気にかけあってるのがわかるというか
居場所をかんじるんですよ。
特に話したことなかったひとでも
同窓会で更に仲良くなるのが簡単だったりするんですよ。
話も合うんですよね。
君は魅力的だよー
ってお互いに思い合えるというか。
異性だからなのかな…
わたしが若くなかったらこうじゃないのかなー…
ほんとはわたしに魅力ないのかなー
っておもうんですよね…
でも理系に来て大学受験それなりにがんばったから
自分がストレス感じにくいひとたちが多い環境にこれたのかもしんない。
あとは中高のときの自分を反省して
成長してきたのかもしれない。
 
自分が大学で
高校のときのカースト上位の女みたいな
感じ悪いことになってないか
たまに心配になるときある。
大学で自分をさらけだして楽しめない人もたしかにいるわけで。
わたしがただ楽しんでいることが
彼らにとってカーストを感じさせるものなのかもしれない。
わたしが高校のとき感じていたカースト
そこまできにするもんでもないのかもしれない。
 
でも中高の同窓会にいくと
当時のスクールカーストがそのままで
ダサかったくせに
バカだったくせに
理系ダサ
というあのころの周りに
思われてた気がする価値観が(被害妄想もありますが
ほんとうの自分なんじゃないかと
思えてしまうんですよ。
所詮大学デビュー笑
理系でダサいくせに笑
みたいな。自分に思っちゃうんですよ。
自分の味方になってあげられない
あのときのままでよかったんだと思えない。
すなわち自信がない。
(でもまー自信があって変化しない思春期もどうかと思うけどね…
それだけ私の中高時代が微妙だったか
女の世界が特殊だったか…)
 
まあわたしは
人間として自分の存在が
軽んじられるのが許せなかったんですよ。
そういうカースト思想が横行してることが
いまでもゆるせない。
でも難しい問題。
無意識に態度にでるほど
階級意識って自然なものなのかもひやない。
リーダー格がクラスの空気を作っていると
ああなれない自分、あのグループに興味をもたれない自分を
ちっぽけだと悲しくおもったりする。
だけどリーダー格じゃない、みんなの記憶に残らない人のほうが
圧倒的で
それぞれの学生生活があるんだとおもう。
そして女の世界でボス猿みたいになるスキルってのは
社会で上手くわたっていくためだとか
幸せな恋愛をするためのスキルとは全く違うと思います…
 
 
でもさー同窓会で
いまでもあのころのカーストのまま
ボス猿のようにしている
女たちって
今の生活が、あのころみたいに
怖いものなしじゃなくなってしまったからこそのものなのかもしれないなー。
とも思える。
猿山のてっぺんにいた人たちが
社会にでて
苦労して
あのころはよかったなーー
とおもってるんじゃないのかね。
そんで、いま上手く行ってる人を
あのころはダサかったくせに
と言うんじゃないでしょーか。
まあわたしはそこまで認知されるほどの
キャラじゃありませんが…
ボス猿気質の人とたまたま話す機会があったら
あの頃にかえりたい…あの頃が楽しかった…
ってやたら言うんですよね。
高校楽しめたならそれはいいことだろうけど、
高校の方が楽しいって
矮小に生きてる気がしてしまう…
体育祭に学祭に受験勉強、噂話に悪口、クラス全員中二病!お小遣い三千円!親のいいなり!
あんな狭い世界が楽しいだなんて!
初恋とかあれば別かね?
あとは本当の親友とか?
課外活動とか?
若くてチヤホヤされたりとか?
これから中高の同窓会はいきません!!
気が合う人だけで合えばいいとおもう。
女の同窓会なんかでいまさら仲良くなれない。。
品定めをし合うだけだよね…
 
ラッセルも
多感な人は若い方が人間関係で苦労する
年を重ねて自分と似た人がいる環境にいくほど
しあわせになれる
と幸福論で書いてたので
あながち一般的でも間違ってないとおもってる。