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Brunnensteinの日記

後期吐死課程を経て春から大学教員デビューの日常

恋人じゃなくて家族になるという話

あいつのことは女に見えない、家族ってかんじ

とよく言うじゃないですか

もちろん太ってふてぶてしくなって女に見えないという意味合いもあると思いますが

他人が家族になるってすごいことじゃない?

自分の子供や親が家族なのはわかるけど

他人の異性が家族になるには何が必要かって

セックスだとおもうんですよね。

セックスって他人と家族になるためにあるのではないかと。

もちろん色んな悲しいセックスや性欲だけのもあるとおもいますけども。

セックスを経て家族みたいになる、

それって素晴らしく良いことだとおもうんですけど。

浮気が倫理的に良くないのはこれで一つ説明できると思うんですな。

セックスとは家族になるための行いであるとすると

家庭を沢山作れるほどの責任や器量、愛情、時間なんてほとんどの人が持てないと思うんですよな。

2人だけが特別の関係、一つの家庭が安定して続くって

素晴らしいと思うのですが。

孤独を知っているとなおさら。

そこを理解できずに壊していく人は、家族になるためのセックスをしてないと思うんだな。

破壊的な性欲とでも言おうか。

愛のあるセックスの終着点は家族だとおもうんだな。

昔はセックスなんてグロデスクであって

遺伝子が生存のために見せる幻想であって

愛も家族もすべてグロデスクな生物現象の帰結なのだと思ってて

辛かったんだけど

いまはそう思わないな。

 

セックスは自然なものであるという考え方もあるのに

社会ではとてもデリケートな話題。

あんまり相手をかえてたくさんやってると良く思われない。

商売でセックスするのは法律で禁止されている。

不倫は激しく糾弾される。

あんまり若い頃からやるのもよくないと思われている。

超絶年の差があるのもいいと思われない。

対象が違うだけで同じ性欲なのに、同性愛が差別されがちなことが多い。

それはおそらく

セックスとは家族になるためにあるのだという

無意識が人間の中にあるからなのではなかろうか…

 

仮説的結論

良いセックス、自然で平和なセックスとは家族に向かっていくセックス

レイプやワンナイトラブや呼び出されヤリ要因や風俗はこれと対極的なセックス

女は傷つくし男も別に幸せなんかじゃないんだろうなーと