Brunnensteinの日記

後期吐死課程を経て春から大学教員デビューの日常

博士に進む人へ 1

私はそんなに人から尊敬されるような博士生活じゃないので

おれってサイコー系の実力に満ち溢れている人には全く参考になりませんが

何も知らなかった当時の私へのメッセージとして書きたいと思います.

 

大学の先生は何も教えてくれない

大学の先生というのは,思っているより全く何も教えてくれません.

むしろ,情報を小出しにして翻弄してくることさえあります.

計算方法を教えてくれないとか、それならまだわかりますが、

指示やアドバイス、方向性を曖昧にしてるという感じです。

自信満々な態度で間違ったことも言ってくるし

とんでもない指示に従わせようとしてくる。

情報を制限することで、自分の思い通りに動くよう、指示に従わせようとしてくる。

わたしが道に迷ってパニックになってるときに

傍観されてきたとかんじる。

そうして上下関係を保とうというわけです.

塾講師のような親切な大学教員がいたとすると

学生というのはあっという間に教員の水準に追いついてしまうから

彼らは情報を小出しにしているのではないかと思います.

もがきまくりましたが,振り返ってみると,なんと単純なことなのだろうと思います.

簡単なことにこれだけ苦労すると,私も学生に出し惜しみをしてしまうかもしれません.

学生が苦しめばいいと思っている先生が大半な気がします.

苦しみにはクオリティがあります.よい苦しみ,わるい苦しみ.

悪い苦しみを存分に味わわされることがあります.人間に翻弄された、情報伝達不全の、研究に必要のない苦しみなんですよ。これを乗り越えるのもまあ人間としては大切ですが、研究ができるようになるのとは全く別。

正直言って,怠慢だと思いますが,

大学とは自分で学ぶところ,という大義名分があり,教員はその言葉に甘えてます。

基本的に放置されます.自分が考えて,働きかけなくてはいけません.

義務感に駆られてする研究では,とてもそんなエネルギーがわいてこない.

そうしていくうちに活力がなくなってドロップアウトしていきます.

自分がしたい研究がなきゃいけません.

この研究室には俺のやりたいことに必要な装置もあるし,経験もありそうだし,

論文もよく書いてるし・・

俺のやりたいことが,どうにかやれそうだぞ!

という動機でいかなければ大体不幸になります.

しかし,最初からすごいテーマを考え付いて,それがやりたいことで,うまくいって・・なんて人はごくわずかだと思います.

だから,研究室の環境で発生したテーマの中で,

自分なりの工夫をするということが必要になると思います.

ワンマンタイプの教授だと,学生の工夫をことごとく否定してきますので要注意です.

ワンマンタイプの教授を超えていかなくてはなりません.

私はこれが非常につらかった・・・

これらひっくるめて、博士課程なんですかね…

精神的自立への旅なんですかね…

すげーいい先生だったら、自立できんのかもしれないし…

私は指導教官のラブコールを受けて進学してしまった部分も大きいのですが

指導教官が最初にやさしくしてくれた時こそ要注意なのです.

最初妙にやさしいのは,基本的に,奴隷にすることが目的なのです.

最初やさしいだけで,なんも責任を持ってくれません.

全ての道は,自分で見つけなくてはならない.

強引な男と付き合って振られた女の気持ちを味わることになるでしょう.

 

手鳥足取りタイプで,いろいろ作業を教えてくれるタイプもいるでしょう.

そういうところに進むと

外野の人から

お前は自分で研究してない.

と言われることがあります.

わたしは,そういうやつをくそくらえとおもっています.

天才ならさておき,一般的な能力なら,教授クラスからお作法を

手取り足取り学ぶことは必ず後々の力になります.

面倒見のよいところなら,やりたいことが漠然としていてもまあいってよいと思います.

心を無にして,やるべきことをやるということも必要なことがあります.

やりたいことなんて最初からあるほうが特殊だとも思います.

この世にはつまらない研究,整合性が微妙なが死ぬほどたくさんありますが

早い時期から自立して自己流でやってる人こそ,こんな素人芸の研究しかできなくなる

リスクもあると思います.