Brunnensteinの日記

後期吐死課程を経て春から大学教員デビューの日常

いじめをなくすには

いじめは大学では基本起きない.

私は,いじめとは,小学校~高校に特有の問題だと考える.

小学校~高校では,狭いクラス,限られた人間関係で

仲良くしましょう,最高の学園生活を送りましょう,

という風潮が押し付けられる.

これは人生において特別な期間だ.

社員旅行なんかは,みんな嫌がるのが当然だが

修学旅行はほぼ強制される上に,楽しいものであるという前提がある.

会社は,お金のために仕方なく来るところであることが多いが

学校は,学び,遊び,全てが集約される.

小学~高校生の世界はほぼ学校に占められ,

ここでの負け組は,人生の負け組になってしまう.

 

一方で大学は基本的に勉強をするだけという認識が強い.

成績が悪くても,まあバカにされることも少ないし

学科に友達がいなくても,可哀想な奴とはそんなに思われない.

グループ意識も少なく,たまたま隣になった人と普通に話すし

突発的に飲み会なんかが開かれればグループ関係なく話す.

クラスに気の合う人がいなくても,サークルやバイトなど

色々なコミュニティを自分で選ぶことができる.

大学では,誰かが体育が出来なくても,絵が下手でも,ダサいとは思わない.

どこかにしばりつけられない人間関係である.

 

高校までと大学はここが大きく違う.

高校までは,クラスに仲良しをつくり,楽しまなくてはならないという強迫観念が生まれやすい.

このため,気の合わない奴と一緒になって何かをする機会が激増する.

これがいじめの原因であると私は考える.

趣味も全く違い,話も全く合わない,

そんな奴が,ひとりぼっちになりたくないという口実だけで

グループに入ってくる.

これは非常にストレスフルなことである.

このため,女子グループなどでは無視などによってこの合わない因子を

グループ外に排出しようとするわけである.

電車内で変質者に絡まれたとき,やばいオッサンに性的関係を求められたとき

嫌な気分になって距離をとるはずである.

学校では,不特定多数の人が集まる.中には将来やばい変質者になるような人もいる.

そういう,変質者的な同級生が仲良くしようとしてきたときに

学校では距離を取りにくいのだ.

無視するか,過剰にいじるかなどして,相手に自制してもらうしかないわけである.

いじめているなどと相手の親に糾弾されれば,被害者はむしろ無視している側なんてことも大いにある.

無視などをすると,先生に怒られたり,いじめとして糾弾されるわけだが

そもそもが,学校は楽しいところ,友達を沢山つくってハッピーライフ!!

という風潮を押し付ける事によって,過剰な友達ごっごが生まれているせいだと考える.

こういった無視にも悪質なものがあることにはもちろん同意する.

甘やかされたワガママなクラスの中心人物の気まぐれで集団無視が発生するのを

見たことがある.無視されている子にそこまで重大な問題があるとも思えなかったが

その子は2つのコミュニティで大々的な無視を経験していた.

その子は,負けじとそのグループに居続けようと頑張るので

更にリーダー格の嗜虐心を煽ることとなり

徐々に無視だけのいじめでは済まなくなってくるわけである.

どっちのタイプの無視にせよ,

学校の,”友達を作って仲良くしなきゃ”という特殊環境が

なければ発生しないのではないか.

 

そういうわけで,赤の他人を集めて,仲良くするのを強要するのは不健全だと思う.

日本はそういうところがある.

隣組という制度もそうだし,

企業では新入社員を4人相部屋にして共同作業をやらせたり・・

年齢がいっていると,協調性がない,洗脳しにくいから取らないという.

4人相部屋でもどうにかやれる人が欲しいわけだ.

そういういじめが起きてもおかしくない環境を作って

そこで上手くやれる人を,日本人は理想としてるわけである.

それってどうなのかと.

日本は海外に比べて,学校が楽しいところだという認識が高いらしい.

他国は,勉強をするところだという割り切りった考えらしい.

このためいじめも少ないらしい.

 

わたしは,いじめをなくす方法は

小学校~高校をキャンパス化することだと思う.

そう簡単にいかないのはわかってるけど,そうだと思う.

大学ならクラスで友達がいなくても,ドライな関係のまま幸せに過ごせる.

オタクでスクールカースト最底辺でバカにされてた人でも

大学では漫研に入ったり理科大に入ったりして幸せに過ごせたりすることは多い.

自分と合う人を選べる,出会える機会がある,

自分の行動を選択できる,そういう環境にしないといじめはなくならないと思う.

もしくはもっと塾みたいな教育機関で卒業資格を得られるのが一般的になったり

偏差値の高い人たちもそういうシステムを利用するようになれればいいと思う.

単位に流動性を持たせるのも良いと思う.

あっちゃこっちゃ行ってて忙しくしてれば,いじめする気も起きないし

いじめられて傷つく暇も減るだろ

逆に言えば,日本だからこそ,こういう教育ができてたのかもしれない.

アメリカやらで同じような学校制度にしたら,もっとひどいいじめが発生するんじゃないかと思う.

日本人が平穏で順応性が高いからこその学校体制なのかもしれない.

 

そもそも,私は人に嫌われることは人間にとって必要だとおもう.

人間誰しも最初は空気が読めない,人の痛みがわからない,たくさんの問題を

抱えている.

人に嫌われるという衝撃を通して,人は飛躍的に自分への理解を深めていくと思う.

もちろん最悪ないじめ,将来暴力団になるような奴から暴力や恐喝などを受けるとか

そういうのは別次元の問題だと思う.

しかし嫌がらせや仲間外れや無視なんてものは,大人になっても勿論あるわけだ.

大人になってからの方がひどいんじゃないかと思う.

だから子供という自然状態の怪物が閉じ込められた檻の中で生存競争をしていくことは

必ずしも悪いことだとも思わない.

弱いことは罪だと思う.

舐められる原因を自分なりに考え,

相手と対等にならなければならないし,自立しなくてはならない.

相手に無視されたら,自分も相手を無視するのがいいと思う.

(仲の良かった女子グループで無視されるのが始まりだという前提で)

ここで醜く機嫌を取るのが一番してはいけないことだと思う.

そうすると,上下関係がはっきりしたものとなってしまう.

どんどんひどいことをされるようになるだろう.

いじめられる人は,

自分がへりくだる行為,自分を落とす行為をしていることが多いと思う.

自分を無視する相手に執着しない.それが人間として対等であるという事だと思う.

そのグループから離れればいい.

お昼休みは図書館にでもいけばいい.

思えば,図書館ってほとんど人がいなかった.

あの贅沢な空間で読書して過ごす人はほとんどいない.

今思えば,友達と悪口を言うんじゃなくて,図書館で本でも読んでればよかった.

そのうち別の友達もできると思う.

学校が楽しくない場合は,やはり習い事や趣味等で自分が認められている

空間をつくることが大切だと思う.また,家族の愛や肯定が必要だ.

学校での感じが人生の全てではないということを伝え続ける必要がある.

また,学校はつまらない,と堂々と言えることが必要だと思う.

学校がつまらない=自分が否定されるような気持ち

になることが多いけど,つまらない!!!

と言う事で,学校と自分を切り離すことが大切なのではないか.

そして,学校ではただ勉強すればいいや,と思うことだ.

 

こう考えてみると

俺たち最高!最高の仲間・・・!!チームワークで最高の達成感だぜ☆

みたいな社風の会社ほど,中では陰湿な人間関係が隠れている可能性が高いと思う.

内部では人間関係のカーストが出来上がっているのではなかろうか.

仕事は仕事です.わりきってマス.やるべきことをやるのみです.

という社風の方が面倒な人間関係に巻き込まれなくて済みそう.